2025年6月10日火曜日

ゴミ集積所の混じったごみの分別が解消した

   6月10日(火) 

 ごみ集積所の当番、交じったごみの分別が解消した

 5月末頃、出会った年配の方が、自分たちのゴミの集積所にはごみの分別がなく一緒に交じっているゴミがあり、毎週当番の人が分別しているが、年を取って大変と、こぼしていました。実は分別を30年もやっていたそうです。そこで、環境課長へ話をして、対応をしてもらいました。

 今日、集積所のそばの方にお会いして聞いてみると、この間、混じったごみは一つだけで、喜びの声がありました。環境課では、アパートの住んでいる外国人の方に直にあってごみカレンダーを渡し、対応を話してきたとのこと、もう1か所の会社の寮として住んでいる外国人のところには、まず、会社に話をし、寮の皆さんにもカレンダーと分別の話をしてきたそうです。こういうところが多く、人が変わるたびに対応していくことになるようです。

 でも、そのことを前もって、アパートの管理人や会社、あるいは売った不動産会社のほうにも、環境課には情報を入れるよう伝えておかなければ 、今回のように、知らないで長年苦労することになります。あるいは、不動産、アパートの管理人、行政区など、関わるところには、新しい外国人が入ったら、それぞれのところ、ゴミカレンダーを説明し、町環境課へ報告をし、対応をするようにしたらどうでしょうか。

  

 

  

2025年5月27日火曜日

身近な要望、たくさんありますね

           5月27日(火)

    大木の枝が背の高い車の通行に邪魔 

 参議院議員予定候補のあさか由香さんのチラシを配布していると、 通り道になっている近所の大木の枝が地面から2メートルぐらいまで下がってきているので、背の高い車がぶつかる、との話。これは道路課へ要請しに行くと、まずは所有者へ枝を切ってほしいと要請するとのこと。  
  路地が暗いの防犯灯をつけてほしい  

 また、T字路から路地に入ると暗いので、防犯灯をつけてほしい。この要望は、住民協働課へは話をするとともに、地域の区長さんへも話をしておかなければと思います。

   畑と畑の間の町道への土の流出は畑の所有者の責任で対策を   

 市街化区域でも畑のそばの町道には、畑の土が大雨の時に流れてきて道路が土だらけになり、歩行が困難になるとのこと。農業委員会へ畑の所有者に土が流出しないような対策を講じるよう、要請するとのことでした。写真の場所はすでに処置はしていますが、今後もこのようなことが起きないように、対策を求める声です。  

  一号公園のトレーニングルームの料金改定は高い

 一号公園のトレーニングルームの使用料が、今年度から改定され、これまで2時間で100円だったのが、3時間300円になった。高齢者は3時間も使わない。これまでの2時間以内で十分。実際は1時間で十分だといいます。その方は、3時間300円では、年間5万円にもなるといいます。とても高いものになると怒っています。 担当課と話をしてみなければと思います。

       ごみ集積所のゴミ ルール違反で当番は大変

 また、ある地域の方は、ごみ集積所に置かれるごみ当番を地域の人12軒で1週間ごとに掃除当番をしているそうですが、以前から、掃除当番に入っていないアパートなどの人は曜日を守らず、夜に出してしまうので誰だかわからず、こまった当番の人は分別をしています。これが大変だといいます。あまりにも多いので、近くの方にSOSしてきてもらい、分別しているときもあるとのこと。これは環境課へ調査をするよう要請しました。

   
  カーブミラーの設置 側溝の掃除

 このほかにも、カーブミラーをつけてほしい、側溝の水や土、ゴミが多く溜まっているので、きれいにしてほしい。私も県道にある側溝に土砂や石が溜り、大雨時には雨水が 流れてしまうので、町を通して、県へ除去してほしいと要請しました。

     

   防災無線が聞こえないので対策を

 防災無線が両方からでるのでハウリングおこしてしまい、聞こえない。言葉が聞こえない、などの要望には、危機管理室に行って話をしますと、デジタルにするにあたって綿密な調査をして位置や向きを固定しているが、微調整ができるか業者に要請してみるとのこと、 あとはフリーダイヤルで聞いてみてください、とのことでした。他にも書ききれないほどあります。

2025年5月12日月曜日

今の物価高騰には、怒りの声

   5月12日(月)

 今の物価高騰には、ほとんどの方が憤りを感じています。特に、お米の高さには驚きとともに、国の農政に関しての政策がないという状態で、これでは暮らしていくこともできません。

 この声をぜひ、7月の参議院選挙で、昨年の衆議院選挙で自公を過半数割に追い込んだことを思い起こして、今度も過半数割れに追い込んでいこうと声をかけています。

ところで、訪問していると、4月頃まで配布していた「新あいかわ」をよく読んでくださっている方から、感想をお聞きすると大変うれしくなります。ここでも、載せたいと思います。




2025年5月3日土曜日

この間の動き

             5月3日(土)

この間の動きをまず、お伝えします。

1つは、4月末から6月議会の一般質問を何にするか

、いろいろ考えあぐねていたため、遅くなりましたが、ようやく、また不登校児童生徒への支援と志田峠入口の土地利用について、の2点に絞って、5月1日に提出しました。

2つは、午前中に県央地区統一メーデーがあり、厚木の中央公園に行って県央地区の共産党議員の一人として参加してきました。町の副町長より挨拶がありました。

3つは、3日は三増区の消防団主催の牛松山植樹際に参加してきました。今から50年前に消防団として石碑を頂上までウインチで1週間かかって運んだという方の話も当時を彷彿とさせる話で、すごい事をしたんだと当時を偲びました。


 

 

2025年2月27日木曜日

「かなちゃん手形」の制度変更に関わる要望書を神奈中本社へ提出

    2月27日(木)

 「かなちゃん手形 」の制度変更に関わる要望書を神奈中本社へ提出

 最近、神奈中のバス割引乗車券「かなちゃん手形」が来年度からものすごく高くなるとのことで、話題になっていました。 日本共産党県央議員団を代表して厚木・愛川と平塚の議員4人とあさか由香予定候補とで、平塚の本社で23日、申し入れを行いました。

  今年、3月から69歳以上を対象に販売する「かなちゃん手形」 がIC化されることに伴い、1年券が10,800円から54,000円に引き上げられることになります。

 神奈中側は決して値上げをしたわけではないと説明。なかちゃん手形を申し込むときに、週に何回くらい使用するか、というアンケートをとっていて、その中で一番多かったのが、「週に4~5回」だった、週4.5回利用したとすると、月18回乗車するとその都度、往復に200円を払うので、年間では43,200円となる、10,800円と43,2000円を合わせると、54,000円、つまり年間の負担額は変わらない。逆に「今までより安くなる」と喜ぶ声もきいている、との説明でした。

 今、バス会社は運転手不足が深刻で、大手のバス会社8割が運賃のキャッシュレス化になっているそうだ。

 現金の受け渡しや運賃箱の管理などが運転手の負担になっていら様子。紛失した場合は払い戻しをするとしているため、助成をしている自治体としては、税金が個人の資産になる可能性もあり、非常に難しい判断に迫られることになります。

 県央議員団は、① SuicaやPASMOを使ってのIC化であり、1乗車ごとの100円をICカードから引き落とす方法も検討してほしいこと、 ② 完全なIC化まであと1年間あるので、高齢者の声をもっと聴いて、真に高齢者の足の確保、社会参加を促すものとなるよう検討してほしいと要望しました。

私は、50,400円にも なるなら、買う人はいるのだろうか、また週に4,5回も乗る人が一番多いというのは本当なのか、と疑問に思います。

愛川町でも、アンケートをとってみたいと思います。

 今後、町ではどのような対応をするのだろか。助成はできなくなるのではないだろうか。      

 


 

 

2025年2月21日金曜日

町立保育園で自衛隊による防災教室

         2月21日(金)町長へ申し入れ


 今朝の「厚木・愛川・清川」タウンニュースを見て、私たち共産党議員団は驚きました。2月13日、町立春日台保育園で、自衛隊による子どもたちへの防災教室が行われた」というニュースでした。毎年、町内の小中学校や保育園児を対象に実施しており、この日は陸上自衛隊座間駐屯地も協力し、自衛隊車両の展示や乗車体験もやったようです。

 私たち共産党議員団は、そっさく町長へ申し入れを行いました。井上団長は、自衛隊車両の展示には違和感を覚える。防災教室の名を借りた自衛隊のPR活動ではないか、と指摘しました。町長は、詳細は現場に任せているとのことで、今後は慎重にと、伝えているとのことでした。自衛隊の名簿提出問題では「毎年要望があるが、町では応じていない」と回答しました。

 次に、教育長・次長と懇談。 教育長は現場では様々な意見があるとして、今後も慎重に対応していくと、述べました。

                 





 


 


2025年2月14日金曜日

夫の戦争を語る女性

            2月14日(金)春日台を訪問

  昨日から、春日台の地域を訪問しています。多くの方は80代から90代の方が多いようです。ある方の夫は航空隊に志願したが、背が低く失格、18歳で満州に行き軍属の仕事をしたそうです。戦後、中国の軍隊に入り雑用係などして最後の引き上げ船で日本に帰ってくることができたそうです。

 この女性は子どもの頃、九州の炭鉱の近くに住み、アメリカ空軍がパラシュートで食料が入ったドラム缶を落としたそうです。それは近くにアメリカ軍の捕虜がいる収容所があったからでした。私たち子どもが歩いて学校から帰るときに、捕虜の人は 笑顔で子どもたちの頭をなでてくれたのです。なぜ笑顔で居られたのか、今になって考えると不思議だと思うのです。と語っていました。

 90代のこの方は、日本はすでに戦後80年にもなるのにアメリカの言いなりになっているのはおかしいと思っています。