2020年2月28日金曜日

新型コロナウイルス対策で学校が休校に

                        2月28日(金)

 最近、新型コロナウイルスの問題は日本だけでなく、世界的に広がっているため効果的な対策が求められていました。27日、昨日首相官邸で開かれた新型コロナウイルス対策感染症対策本部で、全国全ての小中学校・高校・特別支援学校、3月2日から春休みに入るまで、臨時休校とするよう呼びかけました。
 驚きました。全国的な一斉休校の呼びかけです。専門家の意見が分かれていることで、政治的判断のようです。首相はそういう権限はないそうですが。それにしても、その準備に必要な時間がない中で、関係者の皆さんの大変さを想像します。「保育園は休まず、学校は休ませる」のどちらにも該当するお子さんをお持ちの方は対応に頭を悩ませるでしょうね。また、休んだ方いいと言われても働く人の立場によって、つまり非正規やパートなどは給料保障があるのか、首相のおおざっぱな言い方ではそれがわかりません。

2020年2月26日水曜日

大塚下工業団地の共栄会さんと意見交換合

   2月25日(水)大塚下工業団地の共栄会さんと意見交換合

 昨日、24日は議会と大塚下工業団地の共栄会との意見交換会でした。以前に、エーテルという会社さんに総務建設常任委員会で伺い、視察をさせていただきました。その後、意見交換会となりました。
 大塚団地共栄会というところは名前は知っているが、ほとんどの議員は詳しく知らないため、説明していただいてだいたい分かりました。まずは、こういう自己紹介が必要でした。身近な問題に対して意見を言うことはできても、将来のビジョンについては少し時間をおいたうえでやったほうがよさそうでした。

コンサートづくし

          2月25日(水)コンサートづくし

 連休中、23日(日)はたまのやさんでのみらいあいこさんとなおさんのふたりのコンサートへ、24日(月)は伊勢原市民会館での多喜二祭へ行ってきました。
 多喜二祭でもコントラバスとビオラの合奏、蟹工船の朗読、神奈川合唱団の歌声、最後に研究者による小林多喜二の時代背景と虐殺されるまでの短い生涯をどのように生きたのか、のお話でした。
 こんな野蛮な時代を生きてきた先輩たちの生きざまは壮絶とも言えます。自分だったらそういう時代に生きていたらどうするか、考え込んでしまいます。
 今の時代、拷問や虐殺はありませんが、まだまだ民主主義が一人一人のものになっていない現状をどう変えていくか、困難はありますが、やりがいもありますね。
 

2020年2月18日火曜日

この間の安倍首相のあまりにもひどい答弁

   2月18日(火)この間の安倍首相の答弁

 この間の国会での安倍首相の答弁やヤジがあまりにもひどいので、黙っていられない状況です。12日の衆議院予算員会で立憲民主党の辻元清美議の質問終了後、安倍首相が自席から「意味のない質問だ」とやじったのです。自分にとって手痛い質問でもこんな言い方は許されません。国会議員は国政調査権があり、行政を監視する仕事があります。
 これまでも安倍首相は広く募ってはいるが募集はしていないとか、合意はしているが契約はしていない、など、小学生だってわかる言葉をすり替えてごまかしています。
 
 さらに、13日の衆議院本会議で、維新の党の質問に、日本共産党に対して「暴力革命の方針に変わりはない」などと反共デマを行っていました。自民党政府は破防法でこれまで共産党の活動を税金を使って監視してきたけれども、一つもそんな事実はないことを認めていながらそんなことをわざというのです。共産党の綱領にそんな方針は書いているはずもありません。こういうことを言って、共産党を怖がらせる常とう手段なのです。

  桜を見る会の質疑の他に、今世界的に問題になっている新型コロナ肺炎については、昨日相模原市の病院にかかっていた年配の女性患者が亡くなったという記事にはショックを受けました。でも、この肺炎については外から帰ったらうがい、手洗いをまめに行えば、それほど心配はないとのこと、むやみに怖がらず、正しく怖がるようにとの言葉があります。

議員研修会とその後の会議2つ

    2月17日(月) 議員研修会

 午後2時から愛甲郡町村会議員研修で、タイトルは「効果的な質問・質疑」で、議会専門の事業者のそこの先生でした。2時間のうち、1時間の間に10分休憩の他はよどみないしゃべりで圧倒されました。1年間に100日も講義をされているとか。
 内容も、 愛川や清川の実情も把握されたうえでの講義ですので、より身近に聞くことができました。質問や質疑の違い、一般質問の調整などどこまでかの話は毎回実践しているので、よくわかりました。

        広報広聴常任委員会
 終了後、広報広聴常任委員会で 4時を回りました。5月に町民との意見交換会を実施するにあたり、今回は2ブロックに分かれてやることになり、文化会館3階の3つの部屋をどう活用してやるか、実際の場を見て決めることになっていました。町民の方に受付時にどちらかに分かれていただき、2ブロックで同時進行で実施することになりました。

         議員団会議
  終了後、議員団会議。一つは津久井農場建設のために韮尾根の山の中腹にリニアの残土を埋め立てる計画に対しての反対運動署名の到達と明日の行動、また2月3日に町長から説明があった3月議会に提出する愛川聖苑の火葬料有料化の提起とその理由、町民にこの実情をアンケートにして声を聞かせてもらうことにしていましたので、その進捗状況の確認でした。


2020年2月16日日曜日

愛甲商工会青年部創立50周年記念式典

           2月16日(日)

午前10時半より愛甲商工会青年部創立50周年記念式典に参加しました。その前に、40周年もあったのですね。表彰がありましたから。
 雨模様でしたが、文化会館の大きな会場で町長・清川村長などの来賓を迎えて、盛大にしかも主催が青年部なので元気よく式典が行われました。圧巻だったのは、青年部のことをよく知ってもらうために、子どもたちに募集をして清川の子どもさんがダムからビーバーを連想して書いたビーバーがゆるキャラになって登場しました。動きが早くて、愛ちゃんが負けてしまいそうです。

 会場の外ではたくさんのお店が出ていて、もつ鍋やカルビ丼、食事パンを購入していただきました。雨が少し降っていたので人出が少なく、残念でした。


2020年2月14日金曜日

立科町との議員交流

            2月14日(金)立科町議員との交流

 昨日は午前は広報広聴常任委員会があり、午後から立科町の議員全員が視察に来てその後意見交換会、その後会場を移して交流することができました。

 立科町とはだいぶ前から友好都市として交流しています。毎年ふるさとまつりでは立科のリンゴを買うのを楽しみにしている方も多いと思います。議員数は12人、観光地と農業の2本柱でやっているとか。山間部が多くしかも小さい町、企業が少ないので財政的には大変なようです。昨年の台風19号では大変な被害を受けたとのこと、リンゴは大丈夫だったようですが、こんなに大変だったとは思いませんでした。水田や畑の土手が崩落し土砂が流入、今、春の耕作に間に合うように大急ぎで改修しているとのこと、その他は道路や橋の崩落もありました。国や県の予算が付き、改修工事はこれからのようです。
写真でその様子がよくわかりました。また、機会があったら応援する意味でも立科町の方へ行ってきたいと思います。

 

2020年2月10日月曜日

小田急多摩線延伸に向けた取り組みの研修会

             2月10日(月)小田急多摩線延伸についての研修会

 午前中は日本共産党議員団会議、その後、広報広聴常任委員会の打ち合わせ、午後12時15分に相模原市まで行くので、家に帰ってご飯を食べている暇がなく、菓子パンで済ませました。

 相模原産業会館でバスに乗り替え、小田急多摩延伸の関係駅を視察しました。住宅地は総て地下を通るので、その道をたどります。まずは、上溝駅、上溝中学校のそばを通って横山公園へ、そのそばの道路から模原駅の北口にでました。相模原補給廠の一部返還された部分が道路になり、その道路の両側は基地で有刺鉄線で囲まれており、その道を通って町田街道の中間駅になるところと、小田急唐木田駅を見てから鉄道車庫を上から眺めました。この車庫から延伸がつながるとのこと。この辺は高低差が大きいところです。

 戻って、産業会館で研修会。町田市の交通推進課長、相模原市の交通政策課長から図入りの説明。両市とも鉄道網が市域外縁部のあるので、その真ん中は様々なバスやタクシーンなどで網羅する取り組みの実証実験をしているとのこと。どこの市町村も、住民の声に応えて取り組んでいるんですね。その中で今取り組んでいる鉄道は住宅地だけでなく丘陵も地下になるところがあるようです。

上溝駅につなぐところを見る               両側が基地の間の道路

左が米軍基地







                産業会館での研修会

2020年2月7日金曜日

東中そばにある歩道橋の撤去と信号機設置を

   2月6日(木) 東中そば 歩道橋撤去して信号機設置を

 昨年の暮れに、来年度予算に関して国政交渉に参加した際に、共産党の君島県会議員に障害児の学ぶ権利実現のために、養護学校へのバス通学に看護師をつけさせてほしい、との要望を胸に、共産党の君島県会議員などと一緒に質問を聞きました。一緒に昼食をとった際に、東中そばの県道歩道橋撤去と信号機設置の話をしました。
 しばらく時間がたって、1月にメールで君島議員あてに東中そばの歩道橋撤去と 信号機設置の要望を詳しく送ったところ、今日彼女から電話がありました。具体的には、以前町議会で取り上げた際の当局の答弁や場所の特定などでした。また、周辺の人がどれだけ望んでいるのか、について聞かれました。

 私ではない他の議員が質問したと思うが、県道なので県へ要請するとの中身だったかと。その後、共産党議員2人の時でしたが、周辺の人の署名を集めたこともありました。
 これまで私は、春日台に住む障がい者が毎日、向かい側に車の往来の間隙をぬって渡っていた姿を目にしていたことや、高齢の女性の安全に渡るのが大変との声を何とか実現できないか、愛甲郡出身の県会議員に話をしてもやる気なしで、がっかりしていました。どうしたらいいか考えあぐねていましたが、共産党の県会議員に要請をすればと気づいて話をしたのです。


2020年2月2日日曜日

韓国近代の歴史を学んで

              2月1日(土)韓国近代の歴史を少し学ぶ

 厚木の文化会館であった朗読劇「線量計」上演会で隣の席に座った知り合いの方から韓国の歴史勉強会に誘われました。彼女は4,5年前から日本の在日朝鮮人学校への行政の支援打ち切り・差別などを知り、韓国の歴史を勉強するようになったといいます。いまでは韓国語も学んでいるとか。
 
 彼女の自宅を訪ねますと、数人で東京の方面から来ていただいた歴史の先生から韓国の3・1独立運動を通して韓国近代の歴史を1時間半ほど学びました。今、差別者は在日朝鮮人に対して韓国に帰れと叫びますが、なぜ日本に在日朝鮮人が多いのか、歴史を学んで初めて分かりました。朝鮮を支配した日本は、土地を奪い、食べていけなくなった朝鮮人を日本に行かなければ生きていけない状況に追い込んだという歴史があります。時間があればもっと詳しく学習できるのですが、それは次回に。

 夜、韓国映画「雪道」の上映会に誘われ、相模女子大グリーンホールへ行ってきました。1919年の独立運動の背景などを学んでいたので、この映画は理解できました。
  日本軍国主義の韓国支配は創氏改名や慰安婦・徴用工などに象徴的に表れていました。 2015年にKBSの光復70周年ドラマ「雪道」を再構成し、2017年に映画化されましたが、表現は声高に叫ぶのではなく、静かな流れ。高齢の一人暮らし女性が、日本軍に統治され慰安婦にされた14,5歳のころを同じアパートの女子高校生に語るストーリイ。
 最後の字幕には、慰安婦にされた女性は現在239名で199名が亡くなり、40名が存命で、その方々のエピソードを元にしているので、慰安婦の状況は事実だということです。

 今香港の人々が民主主義を求めて闘っています。なぜこんなに人々は強いのかと常々不思議に思っていましたが、その背景には虐げられた歴史が原動力になっているのかとも思いました。