2月14日(金)春日台を訪問
昨日から、春日台の地域を訪問しています。多くの方は80代から90代の方が多いようです。ある方の夫は航空隊に志願したが、背が低く失格、18歳で満州に行き軍属の仕事をしたそうです。戦後、中国の軍隊に入り雑用係などして最後の引き上げ船で日本に帰ってくることができたそうです。
この女性は子どもの頃、九州の炭鉱の近くに住み、アメリカ空軍がパラシュートで食料が入ったドラム缶を落としたそうです。それは近くにアメリカ軍の捕虜がいる収容所があったからでした。私たち子どもが歩いて学校から帰るときに、捕虜の人は 笑顔で子どもたちの頭をなでてくれたのです。なぜ笑顔で居られたのか、今になって考えると不思議だと思うのです。と語っていました。
90代のこの方は、日本はすでに戦後80年にもなるのにアメリカの言いなりになっているのはおかしいと思っています。