2023年1月15日日曜日

映画「荒野に希望をともす」医師中村哲氏 現地活動35年の軌跡

       第66回神奈川県・第20回厚木母親大会に参加

 2023,1.14                                 

 朝8時半に同伴する友人宅に行き、厚木文化会館の会場には9時頃到着。開場は9時50分とのこと、当日券を買い、大勢の参加者が続々到着する中待機。午前中は分科会、全体会は午後1時からあり、その後社会学者の上野千鶴子さんの講演が終了、大会アピール提案等があり、終了したのは3時半でした。

 午前中は分科会が3つ ①平和のために私たちができること、平和を創る道を探る、元外交官が語る、助言者は孫崎享さん、②食の安全、そして日本農業、助言者 八田純人さん、見学分科会、福元館から雨岳文庫 助言者は 豊 雅昭さん等、私たちが参加したのは映画の上映会で「荒野に希望の灯をともす」~医師中村晢現地活動の35年の軌跡~でした。

  医師中村哲さんは2019年12月4日に仲間と共に、何者かによって殺害されたことは広く知れ渡っていましたが、それまでのアフガニスタンでの35年にわたる活動を追ったドキュメンタリー映画が何としても、見ておきたいとの大勢の女性たち1000人近い方と一緒に観て、深い感動を味わいました。

 1984年 中村さんは34歳の時にアフガニスタンの国境に近い無医村に山岳隊員として訪問、治療や薬を求める人々に出会った。その20年後、延命治療が中心となる日本の医療に疑問を抱き、1998年、約束を果たしにやってきた。

 アフガニスタンで長老たちを説得し、診療所建設をし、マラリアの大流行のため、日本のペシャワール会という支援団体が集めた寄付をもとに、特効薬を送ってもらい、2万人の命を救った。しかし、2000年豊かな畑が乾燥地帯に、井戸が枯渇し、り、1200万人が被災、400万人が飢え、幼児が犠牲になり、人々は都市へ出稼ぎ、身銭をかせぐために傭兵になった。飲み水と栄養失調を改善するために、1年間に660か所の井戸を掘ったが、一時的ですぐに干上がった。

 2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生。アフガニスタンでテロの犯人をかくまっているとして、米軍は報復攻撃を開始。日本では自衛隊を派遣することが国会で議論され、中村さんは参考人として出向き、「自衛隊派遣は有害無益だと主張した」が、法案が可決。中村さんはアフガニスタンで今度はクナール川から用水路建設のプロジェクトを立上げた。米軍の機銃掃射攻撃を受けながら、希望を胸に戻り始めた人々と共に工事をし、用水路の水が届いたところでは小麦の収穫ができるようになった。そこへ、100年に一度の大洪水が襲い、泥のなか、また再開、8年かかりで2018年ようやく27キロの用水路、9つの堰が完成、酪農、サトウキビなどを作り、30年以上の干ばつが緑豊かによみがえった。

 中村さんは35年もの歳月をかけ、アフガニスタンの人々が生きるために、医療を行い、武力ではなく井戸を掘り、用水路・堰を作ってきたかを知ることができました。私は米軍が中心になって何の責任もない人々を殺戮してきたことをニュースではしっていましたが、どういう人々なのかは知りませんでした。

 現地で必要なのは水と栄養だと、こんなに困難な中、人々の信頼を得ながら、砂漠をよみがえらせてきた中村さんの活動を語るナレーションに、落ちる涙をふいていました。武力では平和は作れない、今、まさに日本でも必要なことです。