プロフィール

1954年福島県二本松市(旧安達郡東和町)生まれ。相模女子大卒。住友生命保険に勤務のかたわら、小学校教員免許を取得。相模原市で臨時教員として10年間勤務。国連NGO新日本婦人の会相模原支部事務局長など歴任。2003年愛川町議選で初当選。現在、町議5期目。教育民生常任委員長、議会運営委員長、総務建設常任委員など歴任。趣味は民謡・絵画鑑賞・野菜作り。
4人の子育てをし、現在は夫と末娘とともに暮らす。


    *** 私、小林けい子のこと ***


家事手伝いがあたり前の子ども時代

 安達ケ原の鬼婆伝説で有名な安達ケ原から山奥に20分。福島県東和町(現在は二本松市)で、1954年、3男3女の5番目に生まれました。
 当時はどこも貧しく、私は家業のこんにゃく作りの手伝いや畑仕事、各戸訪問の納豆売り、新聞配達などがあたり前の中で育ったので、体を動かすのは苦とも思いませんでした。


先生の読み聞かせで本好きに

 小学校の先生の読み聞かせが楽しくて本が好きになり、中学生の時は、自宅にあった祖父の本をこっそり読んだり、友達と読んだ冊数を競い合いました。
 父は長く糖尿病を患っていたため、兄たちのおかげで高校も出してもらいました。父が高3の時に亡くなったため、卒業後は町田にいる兄を頼って上京しました。


「先生になりたい」と教員免許を取得
学生自治会の活動を通し、日本共産党に入党

 「学校の先生になりたい」という夢を実現するため、大学入学金を働いて貯め、相模女子大学に入学。中学と高校の教員免許を取得しました。大学3年生の時に自治会委員長として学習環境の改善を要求したり、学生食堂設置に奮闘しました。
 その頃に日本共産党との出会いがありました。日本共産党は、戦争に命がけで反対し、弱く、貧しいものの味方であることを知り、何の違和感もなく入党しました。


夫婦で子育て

 夫とは、民主青年同盟の活動で知り合い結婚。困ったときの一番の味方です。産休の代替教員や新日本婦人の会の役員をしながら4人の子育てをしてきました。今は3人が自立し、1人は大学生になっています。
 子どもたちが中学生の頃、お弁当作りに悩み、子どもたちが安心して食べられる野菜をと始めた野菜づくりは、今も続けています。


愛川町議として

 1998年、お世話になった相模原市から、夫の実家のある愛川町に。末娘の入学と同時に本の読み聞かせに参加しました。ちょうどその頃、小学校給食の民間委託化問題が起こり、地域のお母さん方と一緒に「民間委託はやめて」ととりくみました。大事なことを住民に説明せずすすめようとする町のやり方に疑問を感じたことが、議員に立候補する契機となりました。

 2003年以来、5期20年、みなさんに支えていただきながら愛川町議として活動を続けてきました。これからも、平和を大事に、安心して働きくらせる愛川町へ、みなさんと力をあわせてがんばります。